沈みゆく三弦橋
各所でUPされた三弦橋の近況を見て状況確認に行ってみた
結構水位が上がっているようだ
もう
昭和32年3月(1957)
北海道開発局建造
荷重 F.R.S.12
株式会社東京鉄骨橋梁製作所
という銘板は沈んでしまった

カメラを構えてると一人の女性に声をかけられた
昔、鹿島の小学校に通っていたという人で現在は東京に住んでるらしい
その女性はこう語った
「友達がFacebookにUPする三弦橋の状況をみて居ても立ってもいられず東京からきました。自分のふるさとが湖の底に沈むのは辛いです。」と

そうだろう
自分たちがよく行く羽幌炭鉱や昭和炭鉱は人は消えてもその場所に立てる
湖に沈んでしまってはもうそこには立てないのだ
話を聞いていたらどんどん切なくなってきた
去り際、彼女は「いい写真撮ってくださいね」と言い残して去っていった

結構水位が上がっているようだ
もう
昭和32年3月(1957)
北海道開発局建造
荷重 F.R.S.12
株式会社東京鉄骨橋梁製作所
という銘板は沈んでしまった

カメラを構えてると一人の女性に声をかけられた
昔、鹿島の小学校に通っていたという人で現在は東京に住んでるらしい
その女性はこう語った
「友達がFacebookにUPする三弦橋の状況をみて居ても立ってもいられず東京からきました。自分のふるさとが湖の底に沈むのは辛いです。」と

そうだろう
自分たちがよく行く羽幌炭鉱や昭和炭鉱は人は消えてもその場所に立てる
湖に沈んでしまってはもうそこには立てないのだ
話を聞いていたらどんどん切なくなってきた
去り際、彼女は「いい写真撮ってくださいね」と言い残して去っていった

この山々の雪解け水が三弦橋と大夕張を覆い隠すのは時間の問題だろう
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