【PHOTO】稚内赤れんが通信所~内部2~
1937年(昭和12年)竣工
1902年(明治35年)大岬(現 宗谷岬)において運用開始された海軍望楼にその起源を辿ることができる。
1928年(昭和3年)から2年掛けてクサンル(現 稚内市緑2丁目3)に局舎を移し、1931年(昭和6年)からは幕別(現 恵北)に機能を分化、1937年(昭和12年)には「稚内海軍通信隊幕別分遺隊」となり終戦まで使用することとなる。
真珠湾攻撃の命令電報「ニイタカヤマノボレ」を中継したとされている。
道北最大級のレンガ造建築物である。
【撮影月日】2011.09.10
【撮影地】北海道稚内市
【撮影機種】NikonD80+TOKINA AT-X 116 PRO DX 11-16mm F2.8
1902年(明治35年)大岬(現 宗谷岬)において運用開始された海軍望楼にその起源を辿ることができる。
1928年(昭和3年)から2年掛けてクサンル(現 稚内市緑2丁目3)に局舎を移し、1931年(昭和6年)からは幕別(現 恵北)に機能を分化、1937年(昭和12年)には「稚内海軍通信隊幕別分遺隊」となり終戦まで使用することとなる。
真珠湾攻撃の命令電報「ニイタカヤマノボレ」を中継したとされている。
道北最大級のレンガ造建築物である。
【撮影月日】2011.09.10
【撮影地】北海道稚内市
【撮影機種】NikonD80+TOKINA AT-X 116 PRO DX 11-16mm F2.8
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