親父の死
2月27日の朝、親父が逝きました。享年76歳。今の時代まだまだ若いと思います。
親父が30歳で事業を起こすと同時に自分が生まれました。
本当に仕事一筋の親父で一緒に遊んでもらった記憶があまりありません。
ただ、自宅が作業場だったためいつもそばにいました。
毎日のように夜の10時、11時まで働いていたが思い出されます。
これといった趣味のない親父はわたしを含む男3人兄弟を育てるために必死になって
働いたのだと思います。
最近、葬儀などは一手に引き受ける葬祭場などで行うことも多くなっていますが、今回の
葬儀は親父が46年間お世話になった町内の会館でさせていただきました。
葬儀の役員には自らお手伝いに名乗り出てくれた後輩や自分の所属している団体の仲間
がたくさん手伝ってくれ本当に助かりました。
参列してくれた方々も予想以上で本当に嬉しい限りです。
特にわたしの探索仲間もわざわざ札幌から駆けつけてくれたり、旭川の探索仲間からは弔電
など思わぬ出来事があり大変嬉しかったです。
しばらくは喪中ということもあり大人しくしていますが、また誘ってください。
最後に 親父いままでありがとう!ゆっくり休んでください。
親父が30歳で事業を起こすと同時に自分が生まれました。
本当に仕事一筋の親父で一緒に遊んでもらった記憶があまりありません。
ただ、自宅が作業場だったためいつもそばにいました。
毎日のように夜の10時、11時まで働いていたが思い出されます。
これといった趣味のない親父はわたしを含む男3人兄弟を育てるために必死になって
働いたのだと思います。
最近、葬儀などは一手に引き受ける葬祭場などで行うことも多くなっていますが、今回の
葬儀は親父が46年間お世話になった町内の会館でさせていただきました。
葬儀の役員には自らお手伝いに名乗り出てくれた後輩や自分の所属している団体の仲間
がたくさん手伝ってくれ本当に助かりました。
参列してくれた方々も予想以上で本当に嬉しい限りです。
特にわたしの探索仲間もわざわざ札幌から駆けつけてくれたり、旭川の探索仲間からは弔電
など思わぬ出来事があり大変嬉しかったです。
しばらくは喪中ということもあり大人しくしていますが、また誘ってください。
最後に 親父いままでありがとう!ゆっくり休んでください。
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